水島 崇皓(みずしま たかひろ) | 北九州でヨガインストラクター資格を取るならヨガスタジオココカラ
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水島 崇皓(みずしま たかひろ)

ひびしん女性創業塾で講師をする水島崇皓

ヨーガ哲学者
一般社団法人ココカラ 代表理事
写真家

わかりにくく取っ付きにくい『ヨガ哲学』を、日常での例え話しなどを用いながら、誰でもわかるように伝え続けている。
そのヨガ哲学を『日常で活用できる』ように行う指導には定評がある。
そのため、すでにヨガ講師として活動している人が、ヨーガ哲学を勉強しにやってくるほど。

また、ひびき信用金庫が行う女性創業塾の講師を2016年から2022年現在まで7年間勤めているため、実際に講師として活動したい人には活動できるまでサポートし続けている。

そんな水島 崇皓のプロフィールはこちら ↓

元々ヨーガは、趣味のスノーボードのため、バランス感覚を鍛え、怪我をしにくい柔軟な筋肉や関節を手に入れるために始めました。
その頃はまだ、ヨーガの哲学性や瞑想性などを知らず、ヨガを「フィットネス」と「ストレッチ」と捉えていました。

そんな時、人生の転機となる出来事が起こりました。
2度の大病です。

1度目は、働き過ぎや、過酷なパワハラを通りこした”いじめ”の状況(上司が会社のお金を横領していたため、私にバレないよう、私を辞めさせたかった)によって十二指腸潰瘍になり、その潰瘍が動脈を破って大量出血。
病院に担ぎ込まれ、出血性ショック死状態(心肺停止状態)でしたが、蘇生手術が成功し、九死に一生を得ました。
(何と、200mlの輸血パックを、13パックも輸血したそうです!)

2度目は、働きすぎから精神疾患となり、約1年半の寝たきり生活です。
1度目の病気からの会社復帰で部署が変わり、直接のいじめは無くなりましたが、過酷な勤務状況にどんどん人が辞め、それに伴ってますます過酷になり、という悪循環。
残業は毎月軽く200時間を超え、年間で丸1日休めるのは2〜3日あるかどうか。
そんな状況に脳が悲鳴をあげたのです。
(私がこの会社を辞めた1年後に、この会社は約27億の負債で倒産した、と新聞で知りました。そこからも、どれ位過酷な状況だったかわかるでしょう)

この様に書くと、「人生どん底」に感じます。
ですが、上で書いたように、これこそが正に人生の転機だったのです。

1度目の大病、大量出血の際。
たまたまヨーガの瞑想の境地に必要なものが揃い、瞑想の先の『サマーディの境地』を垣間見てしまいました。
(尾骨から頭頂までの安定で快適な姿勢や、心が消えていくほどの呼吸の引き延ばし(酸素が抜かれていく状態)。圧倒的集中などなど。)
私をよく知っている友人から、この日を境に「性格が変わった」と言われます。
(怒りっぽい性格だったのが、急に優しくなった。自分では変わった後の自分が今なので、変わった感覚はよくわかりません。)
(当時、スピリチュアルなどが流行る前で、そんな人格でもなかった私が、見舞いに来た友人たちに「生かされたから、これからは愛を返して生きる!」と突然言い出して、びっくりさせたようです。自分は”変わった後”だから、それが当たり前になっているので、前の感覚を思い出せませんが,,,)

2度目の大病、精神疾患の際。
圧倒的脳疲労のため、脳を休める(寝る)しか方法がない、と心療内科の先生に言われ、そういう薬を処方され、基本寝ていました。
少しずつ体調が良くなると、休んでいる時間に自分を見つめるようになり。
圧倒的な内観の時間が取れたわけです。
本当の意味での、”私”を知れました。
ずっと瞑想して過ごしている状態だったからですね。

事実、妻がすでにヨガ講師で、一緒に瞑想的なヨガをしてくれたこともあり、みるみる体調が良くなり、うつ病では難しいと言われる断薬にも成功し、今の私を手に入れる事が出来ました。

こういった出来事から、ヨーガの哲学性や瞑想性に興味を持ち、学び続けていくことによって、「大病などを経験しなくても私を変えられる」という事に気がつきました。

大病の際に垣間見た境地とそこへ至る道を、ヨーガの教典を通じ、答え合わせをしている感覚です。
そこに道筋は書かれていますので、誰でも再現性があります。

この世の現象には意味はありません。

それを『どう捉えているか』という私(自我)がいて。
その自我を手放す事で現象の真なる意味を見出すのがヨガです。

自我を手放せる、ということは、自身で『制御できる』ということでもあり。
であるならば、この世の現象を『自分の楽しいように捉える事ができる』というのもヨーガの素晴らしいところです。

ヨーガの哲学性、瞑想性を知り、日常で生かすことが出来れば、文字通り人生が変わります。

自分の可能性が広がり、自分の好きな人生が手に入ります。

会社を辞めた後に始めた『写真』で、北九州市制50周年記念行事のフォトコンテストで大賞を取ったり、国際オリンピアードで2年連続受賞したり(銅・銀)。
私を知ることが出来れば、私の本当の才能をフルに発揮できます。
北九州でのフォトコンテストの受賞は、カメラを始めて半年後の出来事ですから。

そんなヨーガの真の魅力をこれからも伝え続け、当時の私のように『自分を押し殺して生きていた人』に手を差し伸べ続けたいと思っています。

そして、私らしく、私の才能を発揮し続けて充実した毎日を、全てと調和しながら楽しく生きていく、そんな生き方を伝え続けていきたいと思います。


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