自分の世界に入ろう!
こんにちは!
ヨーガスタジオココカラの崇皓(たかひろ)です。
突然ですが、「自分の世界に入る」という言葉、どんな印象、イメージがありますか?
「自分だけの世界を持っている」
「自分の世界がある人」
上のような使われ方をする場合は、良い意味でしょう。
ですが、下のように使われる場合は、悪い意味のことが多いですよね?
「あの人は、すぐ自分の世界に入ってしまう」
「自分の世界に閉じこもる」
同じような言葉でも、良い意味で使われることも悪い意味で使われることもあるわけです。
今回のブログでは、この言葉の「ヨーガ的解釈」をお伝えした上で、結論としては、『自分の世界に入ること』を『オススメ』します。
自分の世界に入ることによって得られる「日常で役立つメリット」もお伝えしますので、お楽しみにです!
どうぞ、最後までお付き合いよろしくお願いします♪
目次
自分の世界の良い点、悪い点
『自分の世界』って、実は誰もが持っています。
当たり前といえば、当たり前です。
性格、というものは千差万別ですし、その性格を別の言葉で表すものの1つとして『自分の世界』がある、と言っても、大きくははずれてないはずです。
それをあえて「良い使い方」をする場合と「悪い使い方」をする場合があることは序文でも触れた通りです。
誰もが多かれ少なかれ持っている「自分の世界」。
まずは、どういうポイントで良い悪いというジャッジをしているのか、という定義を考えてみましょう。
*『自分の世界に入る』一般的に言われる良いポイント
- オリジナリティがある
- 他者と違うものの見方が出来る(独自の視点を持っている)
- 発想が独特
- 良い意味で常識に縛られない
- 自分の世界を貫ける精神を持っている
- 判断基準が自分にあるためストレスが無い(少ない)
- 没頭できるだけの集中力がある
*『自分の世界に入る』一般的に言われる悪いポイント
- 視野が狭い
- 自分の考えに固執する
- 他者とコミュニケーション取れない(人の話しを聞かない)
- 現実の世界を拒絶してしまう
- 自己完結してしまう
- 感情表現が出来ない
- 変化を嫌う
良い点と悪い点、並べてみると何となく見えてきますが、やはりメリットデメリットというのは表裏一体です。
例えば、「独自の視点を持って、独特な感性でオリジナリティあふれる企画を思いつく」というメリットも、「でも、それを他者に説明しないし、暴走して進めるので、結局迷惑な人」というデメリットにも早変わりしてしまいます。
ヨーガには、「2極性」という考え方があり、物事には2つの側面があってそれは別のものではなく、裏と表、のように1つのものの見え方が異なるだけ、というものです。
(陰と陽、ポジティブとネガティブ、引力と斥力、女性と男性、光と闇、など)
これは、片方が生まれたら必ずもう片方も生まれます。
「上」という概念は、「下」が存在するから生まれるわけですし、「美しい」を知ってしまうと、同時に「醜い」も知ってしまうわけです。
ちなみにヨーガとは、この2極性に惑わされないようになろう、というものです。
では、「自分の世界に入る」というものの「良いポイントだけを伸ばしていく」ということは可能なのでしょうか?
自分の世界に入るって、何が悪いの?
前段の、自分の世界に入ることの良い点、悪い点ですが。
結局ポイントは、「他者に迷惑がかかっているのか、そうでないのか」になります。
同じような「オリジナリティあふれるアイディア」も、他者にメリットがあれば「良い点」ですし、他者にデメリットがあれば悪い点になります。
もう少し余分なものを削ぎ落として言えば、「人に好かれているか、いないか」に他なりません。
自分の世界に入り込んでいても、他者に好かれている人であれば、「あの人は自分の世界があっていいね!」となります。
逆に嫌われていたら、「あの人はいつも自分の世界に入り込んでるよね!」とんなってしまいます。
当然ですね。
だって、それが良いか悪いかは、「他者が決めること」ですから。
ということは、「他者に好かれることが出来たら」、自分の世界に入るというのは良い点になります。
”私という『個』が発揮できるのは、他者たち『全体』と調和できているから。”
ここでも『2極性』というヨーガな考え方で説明できるのです。
でも、自分の世界に入り込んでしまう人って、どうしても「コミュニケーションが苦手」だったり、「他者との関係を築くことが苦手」だったりしますよね。
「他者に好かれるなんて、出来るならやってる!」という声が聞こえてきそうです。
かく言うワタクシも、完全なる「陰キャ」なので、人付き合いは得意とは言えませんし、実際暗黒の学生時代を送っていました笑
いや、学生時代だけでなく、30代前半くらいまではそうだったかもしれません。
ですが、これは、ヨーガの考え方で簡単にひっくり返ります。
その方法をお伝えする前に、実は、「自分の世界に入るネガティブポイント」よりも、実は大変な、ちょっと難しい事例もお伝えしておきましょう。
自分の世界に入れない?
自分の世界に入るメリット、デメリットをお伝えしてきましたが、これは表裏一体であり、「どちらの面が強く出ているか」に過ぎません。
やり方を覚えたら、この表裏をひっくり返すのはさほど難しいことでは無いのです。
ヨーガ的に言えば、「エネルギーに良い悪いはなく、それに良い悪いと言うジャッジを入れているのはその人次第」となります。
ネガティブなエネルギーが強い人は、反対側の意欲のエネルギーも強く、その意欲が満たされないからネガティブになってしまうだけです。
エネルギーは中立であり、そこにポジティブ、ネガティブという見方を入れているのは本人です。
ネガティブだろうがポジティブだろうが、感情が大きく動く、という事は、そこに『エネルギーが生まれている』ということです。
このエネルギーのコントロールがヨーガなので、これは訓練である程度すぐに出来るようになります。
(もちろん、完全なる制御には時間がかかりますが)
ですが、実はこのコントロールよりも難しいのが、『意欲が無い場合』です。
このブログタイトルでいえば、『自分の世界に入れない』ということです。
ちなみに、自分の世界が無い、ということは絶対にあり得ません。
人は、自分の脳のフィルターを通してこの世界を見ていますので、人間の数だけフィルターの数があり、その数だけ世界の見え方が異なります。
誰しもが、『自分の世界に生きている』のです。
自分の世界は持っているけど、持っているように見えないのは、『自分の世界に入れていない』ということに過ぎません。
では、何故自分の世界に入れないのでしょうか?
自分の世界に入る方法
自分の世界はあるけど、入れない。
その大きな理由は、下記のようなものからです。
- 他者の目が気になって自分を出せない
- 自分の世界がどのようなものかを理解できるほどの経験がない
- 何かを本気で極めようとしたことがない
ここでは、この3つの理由と解決法を1つずつ見ていってみましょう。
他者の目が気になるひとがやるべきこと
他者の目が気になって自分を出せない、という方、意外と多いのではないかと思います。
昔の僕もそうでした。
でも、実は、『他者の目を気にしているという自分の世界に入っている』ということでもあるわけですが、そこを『望んで入っている人は少ない(というかほぼいない)』からこそ、それが自分の世界と思いたくない、という心理でもあります。
そこから脱出するにはどうすれば良いか。
それは、『自分の行動の全責任を自分で負う覚悟を決める』ということです。
他者を気にする、ということは、ヨーガ的に言えば、「他者からこう見られたいという”見返り”を求めている」というものになります。
他者への依存、ですね。
相手からの見返りを求めず、自分の責任で生きていく覚悟、自分で自分を幸せにする覚悟が決まったら、他者の目は気にならなくなります。
僕も、フィットネスとしてのヨーガから、段々と本質的なヨーガを追求していくようになってから、いかに『自身の幸せ』を他者に任せているか、『他人に幸せにしてもらいたい』と依存しているかに気づきました。
そして、やっと自分を幸せにする覚悟が決まったのです。
幸せとは、外にあるものではなく、自分の内側に作るものです。
(その解説や方法については、また別のブログで詳しく書かせていただきます)
まずは自分の幸せに責任を持つところから始めましょう。
経験がないひとがやるべきこと
どんな人でも自分の世界を持っていますが、それに入れない、気づけない、という場合は、まだそれを知るだけの経験が不足していることが考えられます。
人は、他者や外界との『比較』で物事を判断します。
例えば、私のオリジナリティというのは、『他の多くの人と違う』という比較のもとに成り立ちます。
また、何かを『好き』とか『嫌い』とか判断するためには、実体験がものを言います。
仮にまだ未体験のものでも、似たような体験が多いと、『好き』『嫌い』の判断はつきやすくなります。
例えば、南国のフルーツが大好きで、世界各国の南国フルーツを食べ漁っているとします。
そうすれば、仮に初めて食べる南国フルーツでも、今まで南国フルーツを全く食べたことが無い人よりは『味の想像』がつきやすいはずです。
こういった『判断基準』や『自身の価値観』というのは、『実体験』という行動からの『経験』が重要です。
だからこそヨーガは、『実践哲学』と呼ばれ、ただの知識ではNGとされますし、思い浮かべるだけでなく『実感レベル』を重要視します。
実体験や経験が大切、ということは、『行動』が重要です。
とは言っても、行動を起こせない、という人もいるかと思います。
人は、快楽原則で生きていますので、今までの人生で行動によって快楽を経験したことがないと、なかなか行動に移せません。
それどころか、脳という機関は、エネルギーの浪費を避けるため、なるべくサボろうとするくらいです。
そう言った場合、まずは「些細な行動」から起こしてください。
動いてさえしまえば、あとは自然とやってしまったりします。
(明日までのレポート作成、やりたくない!というときは、いきなりやろう!よりも、まずはPCの電源だけつける、とか、お供のコーヒーをいれよう、とかそう言った部分から始めた方がやりやすくなります)
そして、色んな行動を取れるようになれば、『行動すれば成長できる!』という快楽を脳が覚えますので、さらに行動に対するハードルは下がります。
些細なことから行動し、色んな体験をし、私の世界を知る準備をしましょう。
何かを極めようとした事がないひとがやるべきこと
独自の視点、というのは、『深い視点』でもあります。
『表層的な視点』は、いわゆる『一般的なものの考え』であり、大多数を占める考え方です。
これは、どちらが良い悪い、というよりも、『表層的にも深層的にも理解をした上で使い分けられる』というのが理想でしょう。
例えば、ファストフードやファストファッションというのは、『大衆的』であるからこそ、表層的に多くの人に響かなくてはなりません。
スペシャリテがあるような高級レストランだったり、日常では使いにくいような一品ものが多いブランド服だったりは、尖っている=狭く深い、からこそ、お値段は高くても刺さる人には刺さるわけです。
では、一般的に『自分の世界がある』と思われているのはどちらか。
それは、やはり『後者=深層的』なわけです。
また、深層的に物事を考えられる、深く物事を理解し、スキルもある場合は、表層的な行動も可能です。
例として、ミシュランガイドで星がつくような高級レストランが、気軽に安価で食べられるスイーツ専門店を別にオープンする、というようなことは簡単に想像つくと思います。
また、1つをある程度極めた人は、『極め方』『完成のさせ方』という『本質』を理解できますので、何をやってもある程度うまく出来ちゃいます。
(芸能人とかでも、本業の歌意外に絵も描いて写真も撮って個展して、その方面でも評価が高い、みたいな人、いますよね?)
他者と異なる自分の世界をより知るには、深く深く自分の世界に潜る事が必要で、そのために『何か』を極めるレベルでやり込んでみましょう。
僕自身、写真家として活動をしている関係で、色んな方に出会うチャンスがあります。
ハリウッドのギャラリーの契約作家で、そこで写真が売られたほどの実力を持つ、写真のお師匠さま。
ニューヨークアートフェスに出場し、特例でライブパフォーマンスまでおこなった書作家さん。
バトントワーリング の世界チャンピオン。
TVのSASUKEでも好成績を残しているパルクールの日本第一人者。
こういった、『何かを極めている人たち』って、『同じような事』を言います。
ヨーガ的に言えば、『真理に近づく』という事ですね。
洞察も、当然深くなります。
そもそも、深く潜る、何かを深めるには、洞察力も必要ですから。
真理という山の頂きがあり、何かを極める、というのはその山を登っていく事です。
そして、『登り方やルート』が人によって異なり(ヨーガであり書でありバトンであり…)、その『登り方やルート』を『自分の世界』と呼ぶわけです。
自分の世界を持つには、まず『山に登ること』が必要です。
ですが、多くの人は山に登った経験がありません。
(ここでは、何かを極めようとする、という意味です。あくまで”山登り”は比喩です)
まずは、どんなことでも良いので、少しでも深く物事を捉えてみましょう。
(漫画とか映画とか、そう言ったものでも構わないので、深く考えてみます。)
(深い思考の練習は、いわゆる”アート”が向いています)
極めようとしていたら、必ず思考も深くなります。
思考が深くなれば、私のオリジナリティにも気が付きやすくなります。
まずは趣味レベルでも良いので何かを初め、少しずつで良いから、その趣味を『極める方向』へと進んでみてください。
そうすれば、必ずあなたの世界が見えてきます。
自分の世界に入った上で、人に好かれる方法
では、話しを戻しまして。
自分の世界に入った上で、人に好かれる事が出来たら、他者と調和して生きる事が出来たら、自分の世界に入る、というのはメリットしかありません。
前述のように、自分の世界に入る、というのは、『自分に対する深い洞察』というものであり、自分を知る事でもあるので、私を知る事が出来たら、私がこの世をどう見ているのか、ということも知れますので、世界の見方が変わります。
また、自分の好きなことに集中できているので、ストレスもないし、日々幸せに生きる事が出来ます。
では、そのためにどうしたら良いのでしょうか?
それは、『自分の世界を観察する』ということです。
自分の世界に入って、人に好かれている人と嫌われてしまう人。
それは、自分の世界を『制御できているかいないのか』の違いです。
制御できずに暴走させてしまうと、最初に書いたような、デメリット面が強く出てきてしまいます。
知らないものは制御できませんので、まずは自分の世界を観察し、知ることから始めましょう。
何故、私は、それを好きと思っているのか
何故、私は、そう言ったモノの考え方をするのか
何故、私は、こういった時にこういう感情になるのか
何故、私は、気がついたらこれに没頭しているのか
何故、私は、こういった考え方やこういうやり方を嫌いと思うのか
何故、私は、こういう人を嫌だと思うのか
それらを観察してみましょう。
観察して、意識下に置けるようになると、だんだんと制御できるようになってきます。
意識下に置けないものは、制御しようがありません。
無意識に行ってしまうものは、制御のしようがないのです。
でも、感情は、しっかり観察していって知る事が出来れば、あとは意識の力で制御可能です。
「そんな事言っても、イライラするんですよ!」
「だって、人が苦手で、話せません」
みたいな人も、実は、場合によってコントロールしているんです。
例えば、自分にとってとても大切で、重要で、尊敬している人と会う事が出来るチャンスがあったとします。
でも、その直前に、友人とか家族と電話で喧嘩してイライラしてるとしましょう。
その尊敬する人と会う時、そのイライラした姿のまま会いますか?
そのイライラは、押さえませんか?
もし僕が、死ぬ前にどうしても会ってお話しを聞きたいと思っている、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の作者である荒木飛呂彦先生。
もし先生にお会いする事が出来るのであれば、その直前にイライラする事があっても、荒木先生にあったときにそのイライラは絶対に爆発させずに我慢します。
人が苦手で話せない、という人も、「人と話す苦痛を遥かに超えたメリット」がある場合は、必ず話しているはずです。
僕も人対話が苦手ですが、仮に上記の荒木先生の講演会があるとして。
それは電話予約のみ受け付けます、という制約だったら。
電話苦手、なんて言っている場合ではなく、絶対に繋がるまでかけまくります。
ということは、感情のコントロールが出来ない、と言っている場合は、実は「自分が望んでしていない」というだけなんです。
前の話しを繰り返しますが、「無意識」の場合は、コントロールは難しいです。
ですが、意識できたなら、それをコントロールするかしないかは、私次第。
だからこそ、意識できるよう、まずは観察し、知る事が重要なのです。
この「観察し、意識化に置き、制御する」というのを一言で表すと、『瞑想』になるのです。
そして、ヨーガと言うのも、実は瞑想なのです。
自分の世界に入るための努力をして。
自分の世界を詳しく観察し。
自分の世界を制御下に置く。
自分の幸せに自分で責任を持てば、他者に対する見返りが必要なくなり、自身が安定し満たされる。
ますます自分の世界に深く潜る事が出来る。
自分の世界が確立し、結果、他者から「あの人は自分の世界があっていいよね」と言われるようになる。
こう言った流れなわけです。
実は、これこそがヨーガの『行』でもあるのです。
こう言った『哲学的思考を深めて、自問自答を繰り返していく』という『ジュニアーナヨーガ』という種類のヨーガもあります。
『個』を確立すると、『全体』の中で調和して生きる事が出来るのです。
是非、自分の世界に入るために行動し、その世界を観察し、制御下に置けるようにしてみてください。
毎日が楽しく、より幸せになっていきますよ!
崇皓でした!
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・より充実した毎日を送りたい!
・私の可能性を切り開きたい!
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